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昔と今、古き良き日本が忘れてきてしまったもの。
子供達は表で遊ばなくなり、都心には天然自然が姿を無くし、心のゆとりさえなくなりつつある現代。
何か大切なものを失っているのではないでしょうか?

昔と今、何が無くなり何が新たに出来たのか、それをまとめてみました。

※下記に記載されている内容は、個人的な意見をまとめたものですので一概に昔と今の内容を反映しているとは限りませんので、ご了承下さい。

また、心の学問塾「誠心館」では皆さまの昔と今を募集しております。



昔(むかし) 今(いま)
少し昔は子供が取っ組み合いの喧嘩が何処でも見られた。

今は、いじめが多く見られるようになった。
少し昔は、原っぱが多くあり、子供が基地などを造ることが出来た。

今は公園すら大人が着いていかないと危ない。
子供が外で遊ぶのが当たり前。(家の中で遊んでいれば「遊ぶんなら表に行きなさい!」と、おこられた。

今は、ゲーム等が主流で家の中で遊ぶ。外は特定の場所でしか遊べないので、親が・・・パークだとか、・・・ランドへ連れて行く。
昔は正月に開いているお店などなかった。

今はスーパーもどこも正月に開いている。
昔は学校でいたずらすると、先生にげんこつや時にはピンタされた。
今は、いたずらしてもピンタされない。
昔は、全然知らない大人の人に怒られたり、友達の親に怒られた。

今は特に怒られない。
昔は森や林など自然の中で遊ぶ場所が近くにあった。

今は車で行かないと自然の中で遊べる場所が少ない。
昔は、友達の家に遊びに行っても友達の親が大目に見てくれた。

今は、友達の家に遊びに行っても友達の親に気を使う。
戦後は食料も少なく、着る物もなく貧しかった。
家に内風呂は無く、銭湯に通い、時には内風呂のある友人の家に行って風呂に入った。
夕食は、時には友人の家で食べ、時には友人が来て家で食べた。そして友人の家族どうしの付き合いをしていた。
町内会の大人達は、子供達がどこで遊んでいるか、誰が悪さをしたのか知っていた。
神社のお祭りは、心が弾む。
物がなかった。貧しかった。
でも今よりも、おおらかで人々が温かく、心のゆとりがあった。

私が子供頃は、死に別れた親父を持った子供はいましたが、離婚している子供は殆どおりませんでした。

今私の子供達に聞くと、父子家庭や母子家庭が結構いるそうです。
以前子供の小学校で日曜日に「父親参観日」というのがありました。

今は「日曜参観日」に名前が変わったそうです。
昔子供の頃は、竹トンボや竹馬を年上の人達に教わりながら自分達で作って遊びました。
近くには竹藪がって、竹は豊富にありました。
また、使わなくなった缶詰に穴をあけて紐を通して、缶詰の下駄を作って遊びました。
遊ぶにしても、物を大事にしまた使わなくなった物を生かして遊びました。
遊んでいる時、その辺に唾をはくと近所のおじさんに怒られ、また友達同士で喧嘩になりそうになった時に、近所のおじさんが間に入ってなだめてくれました。


今じゃ~近所の子供に注意すると逆に刺されてしまう世の中になって仕舞いました。
私達の時代は、物を食べるのに地べたに座って食べたりしていたら、怒られました。

近くにコンビニがありますが、夜遅くコンビニに行くと若い人達が地べたに座って物を食べております。
私が大学生の頃は、学生服を着ておりました。
学帽をかぶり、何か運動で大会があると応援に行っておりました。
母校の校歌を歌い、出場している選手達へ皆で応援しました。
今でも母校の誇りと名誉を忘れてはいません。


今では、大学生は学生服を着なくなりました。昔は制服を見ればどこの大学だかすぐにわかりましたが、今はどこの大学だかわかりません。
早大や著名な大学で、不祥事が相次いでいるのは大変残念でなりません。
昔の人はこの国に誇りを持っていた。

今の人は、国のことなどどうでもいいと思っている。
戦後、物がなく非常に貧しかったです。
中学時代の修学旅行に行く時は、米を少し多めに持参して行きました。
学校の先生に、特攻の生き残りの人がおりましたが目つきが非常に厳しく、ある時黒板にゼロ戦の絵を騒ぎながら書いていたら、その先生に「ゼロ戦とはそんなもんじゃない!」と叱られました。
戦争を経験した人達は、もう数少ないと思いますが、若い人達が昔の話を聞いて、日本の良さを取り戻して頂くこと切に願っております。


昔、身近に使っていたもの

●巨人の江川の絵の描いてあったアルミの弁当箱(梅干しの部分だけ変色)
ちなみに新聞紙で包んでいたので、汁があるおかずだと新聞紙に汁がしみ込んでいました。

●台所でたわし置きにあわびの殻

●ちゃぶ台(おばあちゃんの家)
丸くてねんきが入っているちゃぶ台で、ご飯を食べてもおいしかったです。今でも残っているのかな~

●ウェス(塗料や汚れをふく物)
Tシャツの切れはしを使っていました。

●火鉢(これまたおばあちゃんの家)
おばあちゃんが冬は離さず使っていました。正月遊びに行くとおばあちゃんの隣には火鉢があってそこで餅を焼いてくれました。あれはうまかった!

●白黒テレビ
小学校の1年生くらいまであったと思います。アンテナがテレビに付いているやつです。

●もみ殻で作った枕
今でもあるのかな?あれは頭にFITしました。

●カエルのおもちゃ
カエルに細いホースが付いていて、ホースの先には空気を送るポンプがついていました。水の上で空気を送るとカエルが生き物のように動いた。




屋内で有っても「ファッション」と言う事で帽子を取らなくなった。

どこに行くにも携帯を持つ様になった。

インターネットが普及し、ちょっとした情報ならすぐに手に入るようになった。

何時になっても街が明るい(都内)。

田畑が減り、マンションが増えた。

メールでの連絡が増えた。

純粋なアイドルが減り、グラビアアイドルが増えた。(女性の肌の露出が増えた。)

子供の危険が増えた。

近所づき合いが減った。

恐い大人が減り、気持ち悪い(うす黄身悪)大人が増えたように感じる。

ソビエトが崩壊したが、アメリカの力も弱くなって来た。

会社のお金が使えなくなった。

アニメーションは子供向けのものばかりだったが、誰に向けているものか解らないものが多くなった。

街の商店が減り、コンビニが増えた。

外国人が珍しく無くなった。

奇妙な天気が増えた。

海外旅行が一般的に感じるようになった。

喫煙出来る場所が減った。

仕事を生きる手段とし、仕事以外の時間を重要に考える人が増えた。(私が幼い頃の大人は仕事を重要に考えていたように感じた)
いつの頃も、自分だけの利益のために抜け駆けする輩はいたが、そう結う人は軽蔑されていた。今はかしこい人と認知されているようだ。

かつては「えらい人」はその地位のあった責任を強く感じているのがわかるような人が多かった。今は「えらい人」の地位がほしいためえらくなりたい人が多い。
「隠れて悪いことをしても、おてんとうさんが見ているよ」は時代劇の言葉。
「公のため・・・」は選挙の公約にもない。



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